2025.01.15 Wednesday

城下町を着物で歩こう

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伊賀の城下町を着物でぶらりと散策します。
着物が似合うスポットをご紹介します。

 

ムービーでお楽しみいただけます

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撮影・編集 山田義郎

 

 

コースのご紹介

 

まずは伊賀上野の城下町の東町にある 上野天神宮へお詣り。

上野天神宮

 

 

上野天神宮から東方面へ歩き寺町通りを散策。
お寺の白壁が続く閑寂なこの通りはぶらり歩きにピッタリ。

寺町通り

 

 

藤岡組紐店で伊賀組紐の締め心地を体験させていただきました。
ぐーっと伸びてキュッと締まる。手組み組紐の伸縮力にビックリ!
「着物も帯もゆる〜く着て、最後に手組の組紐でしっかり締めると着物って全然苦しくないのよ」という奥様の言葉に目からウロコ。

藤岡組紐店

 

御菓子司 田山屋さんでお茶と季節の上生菓子をいただきました。

『御菓子司 田山屋』は閉店いたしました。

 

伊賀鉄道・広小路駅から西大手駅へ向かいます。

広小路駅の線路とホームの曲線はとても美しく風情があります。

 ▶伊賀鉄道

 

 

お昼ご飯は田楽座わかやにて、伊賀名物の豆腐田楽を。

赤いのれんの扉を開けると豆腐田楽を炭火で焼く良い香りが‥。
お豆腐のコロッケも美味しかったです♪

 ▶田楽座わかや

 

 

明治時代に建てられた洋風建築の旧小田小学校を見学。
足踏みオルガンを弾いたり、教室の机に座ると昔の女学生気分♪

 

 

二階には昔の教科書や文房具などが展示されています。
赤と青の色鮮やかなステンドグラスがとても素敵でした。

 ▶旧小田小学校 

 

 

旧小田小学校の裏に竹林と石垣が続く素敵な小道をぶらり散策。

竹林の小道を東へ少し歩くと、伊賀上野城のお堀があります。お城の高石垣を眺めながら、堀沿いに南へ歩くと旧崇廣堂に到着。

 

 

旧崇広堂でお庭を眺めながらホッとひといき。

旧崇広堂は、江戸時代に藩士の子弟のために建てられた昔の学校。凛とした空気が漂う、広々とした空間が清々しい。

 ▶史跡 旧崇広堂(末尾*2参照)

 

城下町の老舗骨董店寺村清雅堂に立ち寄り、語り部でもある店主のおじいさんに色々なお話を伺う。趣のある古道具に囲まれながら、いつまでもお話を聞いていたい気持ちになりました。

 寺村清雅堂:三重県伊賀市上野福居町3337(0595-21-3473) 

 

 

 

<参考資料>

*1:寺町通り

城下町を守るために配置された7つの寺院がある通りです。白壁が続く閑静な界隈をぶらりと歩けば、数々の歴史の面影を辿ることができます。
※通りは生活道路ですので車の通行があります。ご注意ください。

[交 通] 伊賀鉄道「広小路駅」より徒歩3分(上行寺)
      伊賀鉄道「茅町駅」より徒歩5分(大超寺)


上行寺

藤堂家の伊賀の菩提寺で津藤堂藩藩主の墓碑が立ち並んでいます。


妙昌寺

鬼子母神堂があります。


妙典寺

寺町にある寺院唯一の赤門で地域の方々には「赤門さん」と呼ばれています。
[Web] 本門佛立衆 妙典寺


善福院

天和2年(1682年)に三十三体の観音様が奉納され、諸寺に分け与え巡礼の信仰仏となり伊賀国巡礼の始まりとなったと伝えられています。


萬福寺

伊賀越仇討で知られる河合又五郎が弔われています。
[Web] 上野山 無量寿院 萬福寺


念佛寺

重要文化財に指定されている本尊阿弥陀如来坐像があります。また本堂裏手には見事な枝垂れ桜の老木があります。
[Web] 光明山 攝取院 念佛寺


大超寺

藤堂玄蕃公の霊を弔う名刹で「大津事件の巡査 津田三蔵」の墓や「明治~昭和前期の実業家で上野町長 田中善助」の墓もあります。
[Web]仏生山 大超寺 

 

*2:史跡 旧崇広堂

国指定史跡文化財

旧崇広堂は、文政4(1821)年伊勢津藩大10代藩主藤堂高兌(たかさわ)が伊賀、大和、山城に住む子弟を教育するため、津の藩校・有造館の支校として建てられたものです。講堂を借りることも出来ます。(詳細は→コチラ

[住 所] 伊賀市上野丸之内78-1
[電 話]  0595-24-6090
[開館時間] 9:00〜16:30
[休館日] 祝日を除く火曜日、12月29日〜1月3日
[入館料] 一般:300円(20名以上の団体:200円)
      小学生以上 高校生以下:100円(20名以上の団体:60円)
[障がい者割引入場料] 無料

 


赤門

嘉永7年(1854)に発生した安政の伊賀上野地震で、講堂を除く建物の大半が倒壊しましたが、その後復興されました。現存する絵図によると東に文教場、西に武道場があり、間は溝で仕切られていました。現在は文教場部分が残り、弁柄塗の赤門と呼ばれる表門、藩主が出入する御成門、有垣寮、玄関・講堂・北控所・台所、書物蔵などが現存している藩校としては近畿・東海地方においてはここしか見ることができません。また講堂正面には米沢藩藩主「上杉鷹山(ようざん)」筆の扁額が掲げられている。

 

御成門

 

講堂と扁額

 

講堂からの眺め

現在は、補修工事などを経て、様々な文化啓発活動の場として市民に親しまれています。当時の資料が閲覧できる展示館も併設されていて、100年余前の人々の学びの精神に触れることもできます。明治以降は様々な教育施設として使用され、昭和58年まで上野市立図書館として使用されていました。

梅やさくら、あじさいやサルスベリ、金木犀、紅葉など四季折々の花も楽しめます。

 

 

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