楼門・鐘楼 三重県指定文化財
三十六歌仙扁額・算額 伊賀市指定有形民俗文化財
[住 所]伊賀市上野東町2929
[電 話]0595-21-2940
菅原神社は『上野天神宮』と呼ばれ、通称「天神さん」の愛称で親しまれています。菅原道真公を主神とする神社で、旧上野町6千戸の産士神として、また文学の祖神として、あるいは牛馬の守護神として崇敬されています。
菅原神社の創建は不詳ですが、古くは上野山(現在の伊賀上野城)・平楽寺の伽藍神(がらんがみ・寺院を守護する神)で農耕神祇に発祥する神々を祀る神社でしたが、天正9年(1581)に起きた「天正伊賀の乱」の後、慶長16年(1611)、藤堂高虎による城下町建設の際、この地に奉遷され城郭鎮守として祀られました。
400年余の歴史を有し、関西秋の三大祭の一つにも数えられるといわれる『上野天神祭』は、この神社に毎年10月に奉納される秋祭で、平成14年(2002)2月12日に国指定重要無形民俗文化財に指定されました。また上野天神祭のダンジリ行事が2016年12月1日(日本時間)に「山・鉾・屋台行事」のユネスコ無形文化遺産に登録されました。
牛は天満宮において神使(祭神の使者)とされていますが、その理由については「道真の出生年は丑年である」「亡くなったのが丑の月の丑の日である」「牛が刺客から道真を守った」など多くの伝承があり、それらの伝承に因み神使とされる臥牛の像が多数置かれており、菅原神社にも牛の座像の置物を撫でて自分の病気を治す信仰習俗の『撫牛』があります。
菅原神社の拝殿は、平成22年7月の火災で焼失してしまいましたが、平成24年9月に新拝殿が再建されました。
境内には、江戸時代前期(1600年代後期)に建てられた『鐘楼』と、同じく江戸時代中期(1700年代前期)に建てられた『楼門』があり、共に平成5年(1993)3月8日に県の指定文化財に指定されています。
菅原神社(上野天神宮)は、松尾芭蕉が29歳の時、江戸に発つ前に処女句集「貝おほひ」を奉納したことでも知られ、文学の神として一層崇敬を集めることとなりました。鳥居手前には『史跡 貝おほひ奉納の社』の碑が建っており、昭和47年(1972)4月27日に市の指定史跡に指定されています。
境内には毎年春と秋の二度に芽がたつといわれる「二度芽の欅(ケヤキ)」があり、昭和54年(1979)12月20日に市の天然記念物に指定されました。境内の左端にあり樹齢1000年とも言われますが、立派な欅の姿に圧倒されます。
上野天神祭
400年あまりの歴史を有する「上野天神祭」
この祭りは藤堂氏が藩主の時代、神輿の渡御を主とする祭りに印や囃子屋台などの渡物が加わり、「印と鬼・楼車」で構成される練物の祭りに発展しました。百数十体もの鬼が練り歩く鬼行列は、神輿の渡御に供奉してその露払いの役割を果たし、中でも「役行者」の面は、初代藩主藤堂高虎が自身の眼病平癒の祈祷を城下の修験道寺院に命じた際に早く平癒したことから返礼として寄進したものといわれています。この祭りの最大の特徴は、神の依代である印にそれを囃す楼車などの華やかな演出が加わって一対となっている点にあります。全国の多くの祭りと同じく豊作への感謝・疫病退散の祈願から始まった祭りは、京都の祇園祭の形態を取り入れて発展し、今日の伊賀地方の秋の風物詩となっています。
「上野天神祭のダンジリ行事」は、平成14年2月に国の重要無形民俗文化財に指定されたほか、平成28年11月にはユネスコ無形文化遺産「山・鉾・屋台行事」に登録されました。
→上野天神祭公式サイト でもっとくわしく!
[開催日]2023年10月20日(金)~22日(日)
[場 所]伊賀上野城下町一帯
[問合せ]上野天神祭地域振興実行委員会(上野商工会議所)
TEL:0595-21-0527(平日のみ)
一般社団法人 伊賀上野観光協会
TEL:0595-26-7788
伊賀市役所 観光戦略課
TEL:0595-22-9670(平日のみ)
2022(令和4)年の行事予定
【上野天神祭ダンジリ行事(伝統文化の継承行事)】
10月21日(金) だんじり会館だんじり搬出
だんじり・面(鬼面等)展示、おはやしの演奏会など ※雨天中止
10月22日(土) だんじり・面(鬼面等)展示、おはやしの演奏会など ※雨天中止
だんじり会館だんじり搬入
10月23日(日) 鬼行列・だんじり巡行 ※雨天中止
だんじり会館だんじり搬入
※各行事の時間や場所、内容は都合により変更する場合があります。
【上野天神祭 神事】
10月23日(日) 9時 神幸祭(神輿巡行)縮小実施
10月24日(月) 17時 宵宮祭“菅原神社”
10月25日(火) 11時 例大祭“菅原神社”
※神事は関係者のみで斎行します。
以下は例年の主な行事です
9月初旬
<籤取式>
9基ある楼車の巡行順を決める式。
菅原神社で行われ、楼車を所有する町の代表者が神前で籤(くじ)を引いて順序を決める。巡行順が確定すると、拝殿前の表示板に各町の表示板が掲示されます。
令和元年の巡行では27年ぶりに向島町のだんじりが先頭になりました。表記は壱番から「楼車の名称」「印の名称」「町名」順に書かれています。
10月中旬
<遷座式>
菅原神社から東御旅所へ神様を遷した神輿が渡御し、東御旅所で遷座式が行われる。
ダンジリ行事1日目
だんじり会館で展示されていただんじりが各町へと戻ります。町にだんじりが戻ると祭り気分が一気に高まります!
各町で楼車の組み立てが行われます。幕などが飾り付けが行われ、夜には提灯や雪洞に火が灯されます。
だんじりの体験乗車ができる町もあります。
<宵々山>
本町・二之町筋にて19:00から21:00までだんじりに提灯・雪洞を飾りロウソクで点灯し展示されます。町によってはだんじりに乗り込みお囃子の練習をするところもあります。(雨天中止)
ダンジリ行事2日目
<足揃えの儀>
だんじり・・・13:00から16:00頃まで本町・二之町筋などにおいてだんじり曳行。(雨天中止)
鬼行列・・・14:00から16:00まで三之町筋にて鬼行列の練行。(雨天中止)
13:00ごろ徳居町で鎮西八郎為朝の出陣式、14:00に上野相生町から出発 し、行列は西へ向かう、上野徳居町で16:00ごろ解散(雨天中止)
鬼町では鬼面の展示があります。
<宵 山>
18:30頃から21:00頃まで本町・二之町筋などを提灯に点灯してだんじりの曳行。(雨天中止)
夜の城下町と提灯の灯りに照らされただんじりの幻想的な情景に出会えます。
ダンジリ行事3日目
<神幸祭>(本祭の巡行)
9:00 東御旅所を出発(神輿―鬼―だんじり)
東御旅所から神輿行列と供奉行列が出発する。午前中に神輿行列が西御旅所に着御すると御昼祭が行われ、午後には再び上野天神宮へ還御される。
供奉行列は昼前に祭礼本部で籤改めを行い、楼車の巡行順を確認する。
昼は約1時間休憩があり、じっくりと間近でだんじりを観ることができます。(お手を触れることはご遠慮ください)
15:50 三之町筋(上野徳居町の四辻)にて終了
三筋町を巡行し終えたあとはだんじり会館に三基搬入され、あとはそれぞれの町へ帰る。
上野天神祭 鬼行列
上野天神祭の鬼行列は、藤堂高虎から平癒祈願の返礼として役行者の能面を寄進された城下の修験道寺院が、上野天神宮の秋祭りでその面をつけて大峯に入山する修験者の列のようすを再現したことが始まりであるといわれています。
現在の鬼行列は、相生町・紺屋町・三之西町から成る三鬼会に徳居町を加えた四鬼会によって継承されており、百数十体のさまざまな表情の鬼たちが秋の城下町を練り歩きます。
三鬼会(相生町・紺屋町・三之西町)
【役行者列】
指揮 → 金棒引 → 先手 → 印(大御幣) → 悪鬼 → 面なし小鬼 → 八天 → 小鬼(賢徳) → 小鬼(民俗面) → 四天 → 行者脇立 → 役行者 → 行者将几持 → 山伏 → 先達 → 奴 → 先達将几持 → 義玄 → ひょろつき鬼 → 車引・太鼓台・太鼓打
徳居町
【鎮西八郎為朝列】
指揮 → 先曳 → 印(鬼王剣先) → 山伏 → 脇立鬼 → 面なし小鬼 → 八天鬼 → 脇鬼 → 四天王 → 鎮西八郎為朝 → 奴 → 四天王 → 車引・太鼓台・太鼓打
大御幣【おおごへい】
高さ6メートル以上、重さ30貫と伝えられる大御幣。中心の柱を四方から支柱で支えている。それぞれの柱には布が巻きつけられ、中心の柱は白、四方の支柱はそれぞれ青・赤・黄・黒であり五大明王が宿るとされている。天保時代の資料にも同じ形態で大御幣が描かれている。
ひょろつき鬼【ひょろつきおに】
釣鐘・笈持・斧山伏から成り、それぞれ釣鐘、笈、斧を持って右へ左へひょろつきながら歩く。この鬼に触ってもらうとこどもの疳の虫が治ると言い伝えられている。
鬼行列巡行中は動き回っている鬼も休憩中はじっとしているので、一緒に記念撮影してもらうチャンスです。どの鬼さんたちも親切に対応してくださいます。
上野天神祭 楼車
上野天神祭には9基の楼車が巡行し、その順番は毎年9月9日に行われる籤取式で決まります。
上野の楼車の構造は、囃子座のある上層、胴幕を飾るための飾り台が設けられた下層から成り、江戸時代後期に京都祇園祭の山鉾の影響を受けた形態です。
楼車建築は楼車自体が刺繍幕や彫刻・彩色・飾金具などの伝統的な美術工芸で絢爛豪華に飾られることから「動く美術館」ともいわれ、最低限の建築的構造と美術的装飾を併せもつ独自の建築文化なのです。
新町
楼車 | 薙刀鉾(なぎなたぼこ) | |
---|---|---|
印 | 白楽天(はくらくてん) | |
屋根 | 唐破風 | |
天水引幕 | (表)旭日に鳳凰麒麟図 (裏)鳥獣花樹図 |
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水引幕 | 富士の裾野の巻狩図 | |
胴幕 | 松竹梅図 | |
前幕 | 黄石公・張良図 | |
後幕 | 雲龍波濤文図 | |
胴袖幕 | 蘭人嬉遊図 | |
囃子 | 祇園囃子 |
東町
楼車 | 桐本(きりもと) | |
---|---|---|
印 | 逆熨斗(さかさのし) | |
屋根 | 唐破風 | |
天水引幕 | 牡丹に唐獅子図 | |
水引幕 | ― | |
胴幕 | 蘭亭曲水の宴図 | |
胴袖幕 | 蘭亭曲水の宴図 | |
後幕 | 蘭亭曲水の宴図 | |
見送幕 | ― | |
囃子 | 二連摺鉦・締太鼓・小鼓・篠笛・ 三味線の五楽奏 |
中町
楼車 | 基神山・葵鉾 (きしんざん・あおいぼこ) |
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印 | 菊慈童(きくじどう) | |
屋根 | 切妻破風 二重垂木 | |
天水引幕 | 群鳥飛翔図 | |
水引幕 | 百花草木図 | |
胴幕 | 帰去来図、山園小梅図 | |
前幕 | 渓流と麒麟図 | |
後幕 | 画竜点睛図 | |
見送幕 | 孔雀図 | |
囃子 | 祇園囃子 |
西町
楼車 | 花冠(かかん) | |
---|---|---|
印 | 羯鼓(かっこ) | |
屋根 | 唐破風 | |
天水引幕 | 四獣嘉果図 | |
水引幕 | 蘭亭曲水の宴図 | |
胴幕 | 牛に老梅図 | |
前幕 | 雲龍文(現在使用せず) | |
後幕 | 牛に老梅図 | |
見送幕 | ― | |
囃子 | 祇園囃子 |
向島町
楼車 | 鉄英剣鉾(てつえいけんぼこ) | |
---|---|---|
印 | 日・月・扇(じつげつせん) | |
屋根 | 切妻破風 | |
天水引幕 | 霊鳥群芳図 | |
水引幕 | 波に鯉図 | |
胴幕 | 漢公尚歯図 | |
前幕 | 農耕図 | |
後幕 | ― | |
見送幕 | 唐人奏楽図 | |
囃子 | 祇園囃子 |
鍛冶町
楼車 | 二東・月鉾(にとう・つきほこ) | |
---|---|---|
印 | 月鉾(つきほこ) | |
屋根 | 唐破風 | |
天水引幕 | 鳳凰に鷹図 | |
水引幕 | 飲中八仙図 | |
胴幕 | 籬と菊図 | |
前幕 | 白象と唐子図 | |
胴袖幕 | 呉道子龍を描く図・陳平飼虎の図 | |
見送幕 | 波濤雲龍図 | |
囃子 | 祇園囃子 |
魚町
楼車 | 紫鱗(しりん) | |
---|---|---|
印 | 琴高仙人(きんこうせんにん) | |
屋根 | 唐破風 | |
天水引幕 | (表)雲龍図・(裏)丸龍蜀紅の図 | |
水引幕 | 群賢琴棋書画図 | |
胴幕 | 黄石公図・孔雀図・張良図・ 蝦蟇仙人図・御殿鷹図・鉄拐仙人図 |
|
胴袖幕 | 関羽・張飛図、劉備玄徳図 | |
後幕 | 小紋幾何文 | |
見送幕 | 群仙図 | |
囃子 | 祇園囃子 |
小玉町
楼車 | 小簑山(こみのやま) | |
---|---|---|
印 | 三社の託宣(さんしゃのたくせん) | |
屋根 | 唐破風 | |
天水引幕 | 鳳凰と桐図 | |
水引幕 | 西園雅集図 | |
胴幕 | 二十四孝図 (左:楊香図 右:大舜図) |
|
前幕 | 龍と亀図 | |
胴袖幕 | 宝珠亀甲図 | |
見送幕 | 朝鮮通信使図 | |
囃子 | 祇園囃子 |
福居町
楼車 | 三明(さんめい) | |
---|---|---|
印 | 幟山(のぼりやま) | |
屋根 | 唐破風 | |
天水引幕 | 雲龍図 | |
水引幕 | 三十六歌仙図、 (宵山)西園雅集図・図記 |
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胴幕 | 虎竹図 | |
前幕 | 虎竹図 | |
後幕 | 虎竹図 | |
見送幕 | ― | |
囃子 | 祇園囃子 |
曳き手が走る!だんじりが勢いよく進む道
ここだけの話ですが、優雅にみえるだんじりの巡行ですが実はこの場所では違う面を見ることができるのです。お昼休憩前後に通る 本町筋から道路を下り二之町筋へ入ると道 は坂になっているのでとっても勢いよくだんじりが曳かれます!お囃子も気分を高揚させるような調べでとても迫力のあるシーンを見ることができます!
だんじり会館からの搬出と搬入
本祭の巡行後、9基ある楼車と印のうち6基は各町の楼車蔵に収められますが、3基は上野丸之内にあるだんじり会館に入ります。旧市役所前の道は坂道になっているので移動が大変です。春の入れ替えまで半年間展示されます。
伊賀鉄道の踏切では
伊賀鉄道の踏切を通過する時は、踏切の両サイドから竹棒で架線を持ち上げて列を通す珍しいシーンがあります。神幸祭の東御旅所から上野天神宮へと向かう途中の広小路駅横の踏切、だんじり会館からの搬出・搬入時の上野市駅近くの踏切でご覧いただけます。
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楼車の方向転換
上野の楼車の車輪は自動車のように前輪の角度を調節して方向を変えたり、楫(かじ)棒によって進行方向をコントロールすることができません。
そのため、曲がり角では「方向万力」という地車を使って後輪を浮かせ、前輪を支点として車体を回転させます。四輪を地面につけたまま引っ張って廻すと車輪や車軸に大きく負担がかかりますが、方向万力を使って回転させることで車輪にかかる負荷が軽減されるのです。
上野天神宮前の道は三か所方向転換をすることがあります。三回万力を下ろし方向転換するだんじり町もあれば、力づくで方向転換するだんじり町もあります。
囃子の種類
上野天神祭の囃子には、「祇園囃子」と「三味線囃子」の2種類があり、前者 は鉦・太鼓・竜笛からなる京都祇園祭の祇園囃子系統(8基)、後者は鉦・太鼓・小鼓・篠笛・三味線の五楽奏(1基)で構成されています。
曲には神様への奉納や調子づけなどそれぞれ機能があり、行きの曲と帰りの曲、出発時の曲、角を曲がる時の曲、人通りの多い見せ場での曲、楼車蔵に収める時の曲など、町によって5〜17曲が場面ごとに演奏し分けられています。
また西町や東町のだんじりは前に座りお囃子の合いの手を入れています。
鬼行列は2グループ
一本歯の下駄で歩く役行者
鎮西八郎為朝は鬼行列の後尾を務めています。
一見一列に見える鬼行列は、実は「役行者の峯入り」をモチーフにした行列と「鎮西八郎為朝の鬼退治」をモチーフとする行列の2つのグループに分かれており、それぞれに「大御幣」「鬼王剣先」といった印があります。
全国的にも珍しい鬼行列で使用される面は江戸時代のものが中心で、古いものでは桃山時代のものもあり、三重県または伊賀市の指定文化財になっています。
祭り町【まつりまち】
上野天神祭に楼車または鬼行列を出す三筋町13ケ町の名称。
三筋町【みすじまち】
碁盤目状になっている上野城下の町のうち、東西の本町筋・二之町筋・三之町筋の三筋町と、南北の東之立町通り(通称・銀座通り)・中之立町通り・西之立町通りに面する14ケ町の総称。
楼車町【だんじりまち・ろうしゃちょう】
上野天神祭に印と楼車を出す9ケ町(新町・東町・中町・西町・向島町・鍛冶町・魚町・小玉町・福居町)の総称。
鬼町【おにまち】
上野天神祭に鬼行列を出す4ケ町(相生町・紺屋町・三之西町・徳居町)の総称。
印【しるし】
本来は神霊を神社に遷却するための依代で、鬼行列の太鼓台や楼車はそれを囃し賑わすための町印として各町の出し物の先頭に立つ。
現存するものは多くが江戸時代後期から末期に造られたもので、「ホコ型」と「人形山型」の二種類があり、前者は幟や旗竿の先端に出しを飾るタイプ、後者は方形の壇の上に人形を飾るタイプである。
楼車【だんじり・ろうしゃ】
鬼行列のあと、各町の印に続いて巡行する囃子屋台。上層にある囃子座の天井は西町が布張り、その他が彩色の百花図などが描かれた格天井であり、屋根は切妻破風造と向唐破風造の二種類がある。
彫刻や彩色が控えめで、漆の黒色と金箔の金色を基調にまとめられた落ち着いた装飾意匠が特徴。このことによって、囃す対象である印や華やかな幕を引き立てている。